# カベヌリ屋のはなし
ここは城壁に囲まれていて。
城壁は天まで覆っていて。
ここは完全に閉じた空間で。
つまり僕たちはソラを見たことがないわけで。
ゼンマイ屋の親父は椅子を揺らしながら、ゆっくり、でも得意気に語った。
「飛ぶことを禁じたオキナヒトが街に蓋をかぶせたんだ」
・・・どうしてオキナヒトは僕たちが飛ぶことを嫌がったの?
「オキナヒトは俺達をずっと見下ろしていたかったんだ。簡単な話さ」
・・・壁の外にはなにがあるの?
「なにもない。全ては壁の内にあるからな、外には何もない」
・・・あんたは壁の外に出たことあるの?
「ないな。出口がないだろ?」
・・・じゃぁ、どうして壁の外のことが分かるの?
「分かるんじゃない。感じるんだ」
ゼンマイを巻くような軋む音がして僕の背後の扉が開いた。
薄暗いゼンマイ屋の家に光が差し込み、すぐに人の影がそれを覆った。
「すまないが扉を閉めてくれないか。近頃めっきり目が光に弱くなってな」
ゼンマイ屋は小さな目を一層、なくなるくらい、すぼめていた。
「すいません」
影は軽く会釈してから扉を閉めた。
「お前か?」
「はい。やはりうちの息子がお邪魔していましたか・・・」
影の主は僕の父親、つまりアナホリ屋だった。
「なに、壁の外について教えていただけだ」
「息子に変なことを吹き込まないでくださいよ」
アナホリ屋は苦笑いしながら、扉の脇にあった椅子を僕の隣に運ぶと腰掛けた。
「確かに妙なことよな。しかしこの坊主もそろそろ名前をもらう歳だろう?」
「はい、家内も最近五月蝿くて。私は焦ることもないと思うのですが・・・」
ゼンマイ屋は僕の眼を見つめた。
ゼンマイ屋の瞳はとても深くて、きっと父が掘ったことがないくらい、僕は落ちてしまいそうだった。
「今日も掘ってきたのか?」
目を逸らしながらゼンマイ屋が父に尋ねた。
「はい。今日は大変でした。ご存知でしょう?ビン屋のところの犬が死んでしまったんです」
ゼンマイ屋はふむ、と頷きながらパイプに火をつけた。
「あれは、子守りがうまかった」
「ビン屋は死んだ犬のために必要以上に大きなビンを用意しまして。
最近はすっかり地面も硬くなっているんです。
それだけでも大変なのに、時々天井から唸るような音が聞こえるでしょう?
犬がひどくその音に怯えていたそうで、その音が聞こえないくらい深く掘ってくれと頼まれました」
ゼンマイ屋はさも愉快と声をあげて笑った。
どうして可笑しいのかちっとも分からなかったけど、とりあえず僕も笑った。
「死人に口なしとは昔から言いますが、どうせなら死犬に耳なしと言って欲しかったものです」
とアナホリ屋はまた苦笑いした。
さて、とアナホリ屋は立ち上がった。
ゼンマイ屋も、ふむ、とパイプの灰を捨てた。
「お前は先に帰ってなさい。お父さん達は仕事があるから」
僕は内心舌打ちした。
だって最近はいつもこうなんだ。
でも僕がいくら抵抗したところで通じないのは分かっているから、僕も立ち上がってお尻をはたいた。
「それじゃ、お父さんも早く帰ってね」
アナホリ屋はゆっくり頷いた。
またな、とゼンマイ屋が言った。
僕がゼンマイ屋の家を出ると、アカリ屋が家々に灯を配っている時間だった。
街の天井のてっぺんにはとても明るい灯があって、周期的に明と暗を繰り返している。
そして明るいときをアサ、暗いときをヨルと僕たちは呼んでいた。
以前アカリ屋に、どうせ灯を配るならヨルなんていらないじゃないかと尋ねたら、彼女は3つの理由を提示した。
「一番目の理由はね、アサとヨルは昔からのしきたりなの。どうして必要なのかなんて分からないわ。
二番目の理由はね、暗くないと眠れないでしょう?暗くしたいときにはあたしの灯を消せばいい。ね、簡単でしょ?
三番目の理由は、ヨルがないとあたしの名前がなくなってしまうじゃない」
僕は彼女の言葉に納得したけど、でもやっぱり昔からヨルは苦手だった。
なにかがヨルの闇の中から僕のことを窺ってる気がしていた。
やっぱり僕はアナホリ屋にはなれないなと思った。
家に着くとテーブルの上には色の薄いスープと固いパンが並んでいた。
僕はテーブルについて、パンをちぎるとスープに浸した。
母は手を拭いながら現れると、帰っていたの?と僕に声をかけた。
僕は丁度パンを口に入れたところだったので、うん、とだけ答えた。
「お父さん来たでしょ?」
「うん」
やれやれといった具合で母も席についた。
「お父さんったら近頃、私の糸を全部ゼンマイ屋に持っていくのよ」
母はツムギ屋だ。
そして最近、母と父は喧嘩が絶えない。
喧嘩にゼンマイ屋が絡んでいるのは僕にも分かっていた。
最近父はゼンマイ屋のところに入り浸っていたし、口論の端々に「ゼンマイ屋」と聞こえるから。
口論といっても聞こえるのは母の声ばかりだけど。
おかげで母は父がいなくても機嫌が悪い、今日もこんな具合だ。
「カワハリ屋のところのお子さん、あなたと同い歳でしょ?」
「うん」
「あの子、名前をもらったそうよ。デンゴン屋だって。あなたも早く・・・」
「うん」
「うんって分かってるの?あなたもお父さんもゼンマイ屋のところばかり行って」
「分かってるよ。ごちそうさま」
僕はこれ以上母の愚痴を聞いていたくなかったので、急いで食事を片付けて席を立った。
部屋に戻ろうとする僕の背中に母が言った。
「寝る前にヤギの世話をしてちょうだい」
ヤギの背中にブラシをかけながら僕は壁の外に想いを馳せていた。
今まで壁の外なんて考えたこともなかった。
でも僕の家の壁にも内と外があるみたく、街の城壁にも外があるのは当たり前だ。
どうして今まで考えなかったんだろう?
今となっては余程そっちの方が不思議なくらいだ。
子ヤギが餌をねだって僕の袖を噛んだ、僕はミルクは出せないのに。
それにしても、と僕は呟く。
ブラシをかけられて気持ちよさそうに目を薄めていたヤギが耳を動かした。
僕はヤギの耳に口を寄せた。
「デンゴン屋だって。かっこ悪い名前だよね」
ヤギは首を傾げた。
家に入ると父が帰宅していた。
「おかえり」
「あぁ。ただいま」
心なしか父に元気がないように感じた。
父は食事の手を止めると僕を見つめた。
「どうしたの?」
「明日、ゼンマイ屋のところに行きなさい」
後片付けを始めていた母がその言葉に振り向いた。
「またそんなことを言って!この子は名前をもらう年頃なんですよ!」
父は母を向いた。
「いいから、少し黙ってなさい・・・」
「いいえ!あなたが甘やかすからこの子は・・・!」
母は腰に手を当てた。
けれど、いつもと違っていたのは、
「お前は黙ってなさい」
父のその口調はいつも通り穏やかだったけど、いつになく厳しかった。
そう言った父の横顔は僕が初めて見るものだった。
母も僕も唖然として、部屋に重い沈黙が立ち込めた。
父は僕の顔に何かを探すように暫く見つめたあと「ゼンマイ屋のところに行きなさい」と繰り返した。
「・・・わかったよ。行くよ」
「いい子だ」
父は静かに僕の頭をなぜた。
「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
そう言って父は食事に戻った。
灯を消してベッドに就いてしばらくして、いつものように激しい口調の母の声が聞こえ始めた。
僕は毛布を頭からかぶって耳を両手で塞いだ。
それでも眠れなかった。
灯を消しただけでは眠れない。
ゼンマイ屋は工房にいた。
工房には今まで見たことがないくらい大きなカラクリがあった。
それは自転車の車輪を幾つか束ねて作られた大きな車輪4つで支えられたもので、
見たことのない不思議な形をしていた。
傍らには糸を編んで作ったロープが無造作に置かれていた。
「これはなに?」
ゼンマイ屋は僕の声に作業していた手を止め振り返ると、顔をくしゃくしゃにして僕を迎えた。
「おぉ、良く来た良く来た」
ゼンマイ屋はその場に腰を下ろしたので、僕もゼンマイ屋の前に座った。
「これは?」
僕は大きなカラクリを見上げた。
「うむ、これか・・・。そうだな」
ゼンマイ屋はすごく難しい顔をしながら天を仰いだ。
「これは・・・、ミチシルベだ」
「みちしるべ?」
「そうだ、お前達、いや、お前の子供達に道を示せたらと思ってな、造った」
「僕は道には迷わないよ」
そうだなそうだな、とゼンマイ屋は体を大きく揺らしながら笑った。
そして一通りのやり方で笑い終わると、少し外の空気を吸うかとゼンマイ屋は立ち上がった。
「壁の外に何があるのか、お前はそう聞いたな」
ゼンマイ屋の口から吐き出された煙はまっすぐ天井に昇っていった。
「うん」
「俺もじいさんから聞いた話だがな、唯一ここになくて外にあるものがある」
僕はパイプの代わりに草笛を吹いていた。
今日の草笛の出来はとてもよくて、澄んだ音がゼンマイ屋の煙のようにまっすぐ天井に昇っていくようだった。
その音の軌跡を追いかけるようにゼンマイ屋は天井を見上げた。
「それは空と呼ばれるものだ」
「そら?」
「あぁ、空だ。それは街の天井よりももっとたかところに広がっていて、青色をしていて」
ゼンマイ屋は咳払いをして続けた。
「空には果てがなくて深くて高くて、とても美しい、世界で一番美しい色をしているそうだ」
「嘘だ」
僕の言葉にゼンマイ屋は意外そうな顔をした。
「ん?どうしてだ?」
「端っこがないなんて信じらんない。絶対に端っこはあるよ」
ゼンマイ屋は唸った。
「それは俺達がずっとこんなところに住んでるから、だから、端がないものなんて信じられない。
だかな果てしないものは確かに存在するんだ」
僕はいまいち納得できなかったけど、果てのない青い存在を考えてみた。。
「それじゃ、ソラって大きな青なんだね」
「そうだそうだ、大きな青だ」
ゼンマイ屋はその表現が気に入ったらしく、何度も何度も「大きな青」と繰り返した。
どこからか鳥の鳴き声が聞こえた。
ヨルが近くなったころ、父が僕のことを迎えに来た。
父はゼンマイ屋と小声で二言三言交わしたあと、珍しく僕と一緒に帰った。
帰り際、ゼンマイ屋は僕に何度も「空を忘れるな」って繰り返した。
おかげで僕は何度も頷かなきゃいけなかった。
そして次のアサ、まだ十分明るくならないころに、目にいっぱい涙を溜めた母に僕は起こされた。
母は僕に言った。
「ゼンマイ屋が亡くなったわ・・・」
ゼンマイ屋の亡骸を見た人はいない。
だってゼンマイ屋には家族がなかったし、
なによりもアナホリ屋の父が早くに埋めてしまったから。
ゼンマイ屋が死んでしばらくして、全てが落ち着いたころで。
それは例えばゼンマイ屋の死の余韻とか、僕の両親の関係とか、全てが。
僕は一つの決心をした。
そして僕はケショウ屋の家を訪れた。
ケショウ屋の家は僕の苦手な臭いでいっぱいだった。
ケショウ屋は爪に塗ったばかりの色を乾かしながら、おや?と僕を見た。
「珍しいお客さんだね。あんたのことは男の子だと思っていたけど、間違いだったかしら?」
「僕は男だよ」
僕は鼻を摘まんでいたもんだから、鼻声になっていた。
「どうしたの?鼻なんか摘まんで」
「だって、ここ臭いよ」
ケショウ屋は口に手を当てながら高らかに笑った。
「大人の男はね、この匂いが大好きなのさ。あんたももう少し背が足りなかったね」
でも僕はきっと大人になってもこの臭いは好きになれないと思った。
それに僕はもうすぐ大人だ。
「それで、御用は何かしら?お母さんのお使い?」
僕は鼻から手を下ろした。
「ちがうよ。あんたはどんな色でも造れるんだろ?」
「そうよ、間違いなくね」
「じゃぁ、僕のために色を造ってよ」
「どんな色かしら?」
「大きな青」
「大きな青?」
僕はゼンマイ屋の言葉を思い出していた。
「そう。それは世界で一番美しい青で深くて高くて大きいんだ」
そして僕はミトメ屋、ミン爺の家を訪れた。
ミン爺は埃っぽい家の中で椅子に揺られて居眠りをしていた。
少しだけ申し訳ない気もしたけれど、僕はミン爺の体をゆすった。
ミン爺は片目だけ開けて僕を見た。
「なんだ、アナホリ屋のところのせがれか・・・」
「今日は名前をもらいに来たんだ」
僕がそう言うと、ほう、とミン爺は目を細めた。
そして、どれ、と体を起こした。
「お前さんもついに名前を見つけたか」
「街を囲んでる城壁を塗るんだ。頼まれたら家の壁を塗ってもいいけどね」
「しかし城壁に色をつけることがお前さんの目的なんだな?」
「うん。ソラって知ってる?」
「ソラ?いや、聞かんな」
「ゼンマイ屋が教えてくれたんだ。城壁の天井よりもっと高いところにソラってものが広がってるって。
そらはとても美しいんだって。でも僕たちには見えないから、代わりに天井までソラ色に塗るんだ」
ミン爺は顎に手をやって唸った。
「お前さんも奇天烈なことを思いつく子よな。そうか、ゼンマイ屋がそんなことを・・・」
「ダメ?」
「いや、面白い。認めよう。ちと待て」
ミン爺は後ろに倒れそうなくらい上体を逸らし、それは微妙なバランスで、後ろに手を伸ばすと一枚の紙をとった。
そしてなにやら紙にペンを走らせると、でっかい認め印を真ん中に押した。
「ほれ、これでお前も大人の仲間入りだ」
紙を受け取った僕は書面を確かめた。
「かべぬりや?」
「そうだ、お前さんの名だ」
かべぬりや、と繰り返す僕を尻目にミン爺は続けた。
「住まいはゼンマイ屋の家を使うといい。ゼンマイ屋の遺品はお前さんの好きになさい。
ヤギは裏にいるから、適当に5頭選ぶといい」
「うん、ありがとう、ミン爺」
ミン爺は僕に手を振ると、「父は地を掘り、子は天を塗る」だとか、「因果なのもだ」だとか呟き始めた。
こうなるとミン爺は長いので、僕は無視して家を後にした。
家に帰りついたのは、アカリ屋が灯を配り終わったころだった。
僕は家の脇の木にヤギを繋いでから、しばらく家を眺めた。
ヤギたちは戸惑いながら周囲の様子を窺っていた。
僕は戸惑いながら目に映る全てを受け入れようとしていた。
何故だか分からない。
何故だか分からないけど。
僕は一つ深呼吸してから家の扉をくぐった。
当たり前だけど、そこにはいつもの風景があった。
アナホリ屋は今日如何に大きくて深い穴を掘ったかを話していた。
ツムギ屋は、この街も穴だらけになって過ごしにくくなりますねって微笑んでいた。
そして僕に気付いた二人は、おかえり、と言うんだ。
いつもの、ごくありふれた風景。
けど僕は食卓についても、角の合わないパズルのように落ち着かなかった。
ツムギ屋は手際よく僕の前に皿を並べていく。
僕はスープを口に運びながら二人の話に聞き耳を立てた。
「そう言えば、今日不思議な話を聞きました」
ツムギ屋は今にも身を乗り出さんばかりの様子で話し始めた。
アナホリ屋は食事の手を止めた。
「ハリボテ屋の話なんですけどね、壁の外から何かで叩いてるような音がしたんですって。
それもとても規則的なリズムだったそうよ。やっぱり外に誰かいるのかしら?」
途端にアナホリ屋は笑い出した。
僕もツムギ屋も分けがわからず笑い続けるアナホリ屋を見ていた。
アナホリ屋があんまり笑うもんだから、たまらずツムギ屋は訊いた。
「あなた、なにかご存知ですの?」
「いや、おかしな話じゃないか。外から音が聞こえるなんて」
ちぐはぐな答えだなって思ったけど、とりあえず僕も笑うことにした。
ツムギ屋だけが釈然としない様子で僕たちを見ていた。
おかげで喉がカラカラになった僕は、コップの水を飲み干した。
そして一息ついて、とても深い一息をついて・・・。
「実は今日、ミン爺のとこ行った」
アナホリ屋は急に真面目な顔になった。
ツムギ屋は瞬間に顔が真っ青に変わった。
「認め印、もらったのか?」
アナホリ屋は静かに訊いた。
僕がその問いに頷いたのを合図にしたかのように、ツムギ屋は泣き出す。
慌ててアナホリ屋はツムギ屋を慰めた。
けれどツムギ屋は、ゼンマイ屋が死んだときよりももっと大きな涙を流し続けた。
こうしてアナホリ屋での最後のヨルは更けていった。
「大きな青」が出来るまでにはたくさんのアサとヨルが必要だった。
ケショウ屋はまるで僕より「大きな青」に執着するみたく、あれもだめ、これもだめって、何度も造りなおした。
おかげで僕はすることがなにもなくって、
ときどきゼンマイ屋の遺産たちに油をさしたり、ネジを巻いたり、ヤギの散歩までした。
ただ一つ、ゼンマイ屋の家に移ってすごく不思議だったのは、例の大きなカラクリ、「ミチシルベ」がなくなっていたこと。
「ミチシルベ」が残っていればもう少し暇つぶしできたかもしれないと、なくなってるだけに無性に悔しかった。
でも「大きな青」の出来はピカイチだった。
ケショウ屋の造った「大きな青」はとても美しくて、きっと世界で一番きれい、
ソラは見たことがないけど、きっとソラ色に違いないと僕が納得するほどの仕上がりだった。
もしこの青を超える青があったとしても、それはソラ以外に存在しないだろうとも思った。
今、「大きな青」はビン屋にもらった特大のビンに詰め込まれて、
僕の腰にツムギ屋が作ってくれたロープでくくられて、
僕の動きにあわせてタプタプと揺れていて、
それは光を反射してキラキラ光っていて、微妙なむらが刻々と姿を変えていて。
僕の右足は「大きな青」を通った光に照らされて青く染まっていた。
僕はときどき「大きな青」の様子を確かめながら、ゆっくり歩いた。
僕の家の裏の丘の頂を越えて少し下ったところに壁はあった。
僕はリュックとビンを下ろして、額の汗を拭った。
そしてリュックから筆を取り出し、ビンの蓋を慎重に開けて、筆の先をゆっくりと沈めた。
筆はこれから始まる冒険に備えて深呼吸をするように「大きな青」を吸い込んだ。
僕は息を止めて筆を構えて、精一杯背伸びをする。
手もめいいっぱい伸ばして、先端が真っ青に染まった筆を掲げる。
筆先は自ら光を放つように青く輝く。
僕は静かに壁に筆をつける、壁と筆はお互い求め合っていたように引き合う。
僕は体全部を伸ばしたまま、手を左右に動かす。
壁と筆は引き合ったまま、滑らかに走る。
そして僕は体中の力を抜いて、筆を地面に置いて、そして忘れかけていた息をした。
僕の目の前には少し弧を描いたソラがあった。
僕はカベヌリ屋。
そしてこれは始まりだ。
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