# たゆたうなゆた
私はその風景に思わず立ち止まったプラットホームの端。
目の前には背の低い、しかし直径10メートルは越えると思われる円柱が無造作に並んでいる。
その向こうには金網を挟んで、発電所と思しき建物が居並ぶ。
右に視線を移せば線路の末端があり、
明らかに人が乗り降りするには奥まり過ぎたそこでは、動く気配の見られない電車が鈍く日の光を反射していた。
私が立つコンクリートの床は円柱(私はそれを機能を持たない単なるオブジェと判断する)の並ぶ区域の前で途切れ、
円柱の周囲にはおそらく手入れのされていない(或いは恐ろしく計算高い手の入った)雑草が疎らに生えている。
私はその光景に、およそ似つかわしくない色を認め、注視する。
それはタンポポだった。
円柱の根元に一輪だけ花を咲かせたタンポポは、肌に感じられる程の風もないと言うのに、優雅に身を揺らしている。
その光景にすっかり魅了された私は肩にかけたカバンの中を弄った。
そしてカメラを手にして顔を上げた私は内心舌打ちした、上に立つつもりでいた円柱にいつの間にか腰掛けた人物がいる。
さらにその奥の円柱には気付かぬうちに文庫本を広げた女子高生が座っていた。
背後から私の名を呼ぶ声が聞こえた。
私は名残惜く風景を眺めたあと、カメラを手にしたまま背後の下り階段へと向かった。
階段のトンネルを抜けた先にあったのは校舎の一角だった。
正面を向くと左に校舎、右に花壇と挟まれた道が真っ直ぐ伸び、
左に視線を転じると校舎と遊具に挟まれた道の先にグラウンドが見えた。
私の名を呼んだ君は、少し先、花壇の脇の道を興味深げに周囲に視線を散らしながら歩いている。
私は階段を下りたところで君の背中をファインダーに捕らえる。
校舎の影が君の姿を覆い、歩を進める君をまた光が照らす。
と、俄かに騒がしくなり、黄色い帽子を被りランドセルを背負った子供達が校舎から溢れ出た。
振り向いた君は私に気付き微笑みかける。
左の方から女性の声がした。
そこには十数人の子供達を前に話をする教師の姿があった。
「先生はプロポーズされました」
私は興味を引かれて歩き出す、それに合わせて君も歩く方向を変える。
子供達は、無反応。
「先生は機関車を運転していたら大好きな人に結婚を申し込まれました。
先生は嬉しくって、運転席から降りて大好きな人の所に走りました。
機関車も先生達のことをお祝いして蒸気をあげてくれました」
教師は両腕を直角に曲げて前後に回し始める。
「しゅっしゅっぽっぽ、しゅっしゅっぽっぽ、しゅっしゅっぽっぽ・・・」
子供達、無反応。
「しゅっしゅっぽっぽ、しゅっしゅっぽっぽ、しゅっしゅっぽっぽ・・・」
子供達、無反応。
君が申し訳なさそうに、その機関車は何処にありますかと教師に尋れば、
教師は気分を害した様子もなくグラウンドに繋がる道を指し示しながら、
「あの角を曲がって、真っ直ぐに行ったところです」
と応じた。
そして子供達に向き直り、
「それでは皆さん、道草をせずに気をつけて帰りましょう。さようなら」
と告げる。
子供達は一斉に走り出し、私達が降りてきた階段へ向かった。
教師は頭の上で大きく手を振り続けた。
君は私の手をとり、歩き出した。
グラウンドは果てしなかった、比喩でも誇張でもなしに、言葉通りに。
きちんと整備は行き届いている様子だったが(少なくとも視界の範囲で)、その果てしない様は荒野と形容するに相応しく思えた。
私と君は手を握ったまま、校舎とグランドの間をゆっくり歩いている。
グラウンドを囲む木々が道の上に光と陰の縞模様を造っている。
時折吹く風が心地良い。
向こうから歩いてきた二人の女の子が「さようなら」と挨拶をする。
私と君もそれに応える。
黄色と桃色のランドセルがすれ違いざまにカタカタと笑う。
立ち止まって見送る私達の耳に二人の会話が届く。
「でね、運動場の真ん中に立つと、どんなに晴れてても雷が落ちてきて死んじゃうんだって」
「うっそぉ」
二人の姿が校舎の陰に隠れると、私達はまだ歩き出した。
影を落としていた木々が途切れ、体がポカポカと温かくなってきたころ、
私は霞に煙る機関車の姿を視界に捉える。
君もほぼ同時に気付いた様子でそっと握る手に力を込める。
やがて黒い無骨な姿を完全に現した機関車は、グラウンドの片隅に停車していた。
その前後に線路が一直線に伸びている、一方は私達が歩いてきた方向へ、他方は私達が歩いていく方向へ。
君は車体を暫く見上げたあと、満足気に鼻を鳴らす。
あたりを見回していた私は、直ぐ側に電話ボックスが立っていることに気付いた。
君に視線を戻すと、君は思案深げに首を傾げていた、意を決した様子で電話ボックスに向かって歩き出した。
手持ち無沙汰になった私は、仕方がないので、君を電話ボックスに残してあたりを歩いてみることにする。
機関車の黒い巨体(まるで鯨みたい、鯨をこの目で見たことはないけれど)に沿って。
丁度反対側に来たところで私は向きを変えて荒野に踏み出した、その半身を既に地平へ埋めた太陽を正面に見据えながら。
暫く歩いたところで私の中に素晴らしいアイデアが浮かんだ。
きっとこの位置から荒野の機関車を撮影したらどれほど素晴らしいことか。
アイデアを実行すべく振り向いた私は、しかし、唖然とした。
機関車の姿がない。
しばし茫然自失とした時を過ごしたのち、ある考えに行き着いた私はその場にしゃがみ込む。
まるで雷に怯える子供のように出来る限り身を低くする。
呼応してそれまで巨人であった私の影が小さな山へと転じる。
そして巨人の陰から現れたのは、紛れもない機関車。
安堵に自然に笑みがこぼれた。
私は立ち上がり、一度背後の太陽を振り返り、君の元へと急いだ。
私が戻る、君は電話ボックスから出てくる。
私を目にした君は誇らしげな笑みを浮かべ、指で摘まんだなにかを顔の横で揺らす。
私は、頷いて君に応える。
そして二人で機関車に乗り込んだ。
機関車の運転席は真っ暗だった。
しかも油の匂いが充満している。
でも何故だか心地良い、長居はしたくないけど。
君は手探りで手に入れたばかりの鍵を差込み、左に捻る。
途端に機関車は身震いをし、蒸気を噴き出し、計器に明かりが灯った。
そこまで見届けた私は一人客室に向かう。
客室は運転席とは異なりとても明るい(君がまだ悪戦苦闘しているであろう運転席は、例え計器が灯っても十分暗かった)。
車内は古めかしい様子だったけど、例えば床は染みのついた板張りであったし左右に並んだ座席の色はすっかりくたびれている、
念入りな掃除が行き届いる様子で、清潔であることは一目で分かった。
私は誰もいない客室を見渡し、客室の中央、真ん中の席に腰掛けた。
体に振動を感じながら、夕焼けに真っ赤に染まった車内をファインダー越しに眺める。
窓から空を見上げると、別の路線が頭上を走っているのが見えた。
ふと景色が流れたのを感じてカメラを下ろす。
脇に立つ君の姿を認め、(意味はないけれど自然に)私は半身分だけ席をずらす。
走り出した機関車は一時も立たないうちに夜の闇の中へと滑り込んでいった。
煌々と明かりが灯った車内へ滲んでも来るような濃い闇をかき分けながら機関車は走り続ける。
お陰で窓の外の様子は凡そ窺い知ることが出来ない。
それでも私と君は並んで座り、向かいの窓を眺めている。
君が私を見ている。
私が君を見ている。
機関車が咳払いをするように、少しだけ大きく揺れる。
車内アナウンスが流れ次の停車駅を告げる。
聞き覚えのない駅名だったけど、なかに「ひまわり」の音を認め、私は背後の窓から外に目を凝らした。
当初は水に溶かした墨のようにムラが揺れ動く闇のみだった。
一時のあと、しかし目が闇に慣れてきたのか、
黒いキャンパスに黄色いクレヨンで描いたような花がポツリポツリと見え始め、
やがてあたり一面が向日葵に囲まれていることが感じられた。
向日葵は機関車を一目見ようとするかのように背伸びをし、こちらの動きに合わせて花を向けている。
その様はうねる黄色い波。
波は私達を追いかけ、しかし、停車駅の明かりに照らされると突然に静まり返った。
駅で乗り込んできたのは腰の曲がった老婆と、その手を引く少年だった。
少年は迷いなく老婆を車内の中央に導き、私達の前に座る。
老婆はその間ずっと俯いたままで、聞き取れないほどの小さな声で何かを話し続けている。
少年は座ってからというもの、私達をずっと見つめている。
機関車が体を軋ませながら再び動き出すと、少年は立ち上がり私達に近付いてきた。
そして少年は、君に、おずおずと一冊のノートを差し出す。
受け取った君は、私にも見えるようにノートを開く。
最初のページ、記されていたのは「かんさつ日記」、擦れた鉛筆の文字で。
さらにページを手繰ると、朝顔の種植えから、出芽、生長、開花、そして再び種の回収と、
事細かに、可愛らしい絵を伴いながら、書かれていた。
真剣な面持ちで最後のページまで目を通した君は(最後のページは紫色の朝顔の押し花で締められていた)、
最初のページに戻り、赤ペンで大きく五重の花丸を描き、その下に「たいへんよくできました」としたためた。
そして鞄から取り出した4つのチョコレートをそのページに置き、少年に手渡す。
受け取った少年は満面の笑みを浮かべ自分の席に駆け戻った。
君はさらに幾つかのチョコレートを取り出し、私に2つ手渡すと、自分も1つ頬張った。
私も君に習い1つを口に入れ、1つはポケットにしまう。
少年の方に向き直ると、口の中でチョコレートを転がしていた彼と目が合い、彼はころころと笑う。
隣の老婆は相変わらずの様子でなにかを唱えている。
ここからでは彼女の言葉は聞き取れないが、それは列車の振動と同調し、右隣に君の暖かい体温を感じ。
老婆の口から漏れる一定のリズムは私の中で自然に解釈され意味を持ち。
「むかしむかし、あるところに」
そう、それは昔話。
むかしむかし、あるところに・・・。
気が付くと私は真っ白な世界に立っていた。
前後左右、どちらを向いても見える色は白だけだった。
一陣の風が私の耳の側を通り過ぎ、去り際に囁かれたストーリーを残していく。
むかしむかし、あるところに。
靴の裏がムズムズと動く。
驚いて足をどけると、そこから緑色の芽が顔を出していた。
そこは丁度私の陰になっていた。
私は日の光を遮らないよう、少しだけ体を移動する。
途端に芽はものすごい勢いで生長を始め、虚空に螺旋を描き、大きな葉を一杯に広げ、やがて花を咲かせた。
色とりどりの朝顔。
私は1つの花に顔を近づける。
黄色いその朝顔はピヨと鳴いた。
揺れる。
揺れる。
揺すられる。
体を揺すられる。
優しく体を揺すられる。
君に優しく体を揺すられる。
僕は目を覚ます。
車内は日の光に包まれていた。
目を擦りながらあたりを見渡すと老婆と少年の姿は既になかった。
君は立ち上がり私に手を差し出す。
私は君の手をとり、立ち上がろうとして、ふと君の奇妙な表情に気付く。
君は、私のポケットを凝視している。
私も異変に気付く、ポケットがもぞもぞと動いている。
恐る恐る手を差し込み、意に反して安心感を呼び起こす柔らかい感触を確認し、意を決して取り出す。
それはチョコレートに塗れた、ひよこだった。
私達は手を握り、運転席とは反対方向に車内を歩いている。
チョコレートから生まれたひよこは盛んに鳴きながら、
忙しなく私達の足元を走っている(お陰で踏み潰さないように少しだけ慎重に歩を進める必要があった)。
どうやら私達を両親と認めてくれた様子。
窓の外は濃い緑の葉に覆われ、次々と前方に流れていった。
その様子は緑色の風景、例えば森の映像とか、を映したビデオを早送りで見ているようで、
一方でそれでも日の光は十分差込み、車内に舞う埃がキラキラと輝いており、
まるで車内と外とでは時間の流れ方が違っているようだ。
私達は歩きながら既に幾つかの車両を越えてきたが、車内の様子は変わり映えがなく、
時々扉の位置が違っていたり、空き缶や新聞紙が転がっていたりしなければ、
同じところをぐるぐる回っているように思っても仕方がないところだった。
それでも不安は感じなかったけど、十分に同じ車両の繰り返しに飽きてきたころ、最後の車両にたどり着いた。
私はそこで歩を止め、走り回っているひよこをポケットに入れた。
ちょっと抵抗されたけど、仕方がない。
ファスナーで挟むことがないように、慎重にポケットのチャックを閉める。
ポケットの中から非難がましくひよこが鳴く。
私はひよこの入ったポケットを少しだけさすり、そして君の手をとり、扉を開ける。
扉の向こうは小高い山の上だった。
振り返ると立った今抜け出したばかりの扉を備えた飾り気のないコンクリートの建物が建っている。
目の前には二車線の道路が走っているが、車の通る様子はない。
君は握る手に力を込め、私に身を寄せてくる。
吐く息は白い。
これから暫くは(まだ起きたばかりの太陽がいつもの調子を取り戻すまでは)、仕方のないこと。
私達は上に向かい歩き出す。
木々の葉が擦れる音がし、時折鳥がけたたましく鳴きながら頭上を過ぎる。
山々が、世界が、朝の準備を始めている。
10分も歩かないうちに視界が開け、私達は頂上に立っていた。
頂上は背の丈の揃えられた芝生で覆われており、周囲は見渡す限り空だった。
さながらここは水に浮かべられた緑色のカップといったところ。
ここなら車道も遠いと、私はひよこをポケットから解放する。
ひよこは急に変化した環境にしばらく戸惑っていた様子だったけど、直ぐに鳴きながら地面を突付き始めた。
私は君と、下の世界を見渡せる位置まで登りつめる。
ひよこが一生懸命付いてくる気配を背後に感じる。
頂上からは遠くに海が望むことができ、その上に千切れた雲が漂っている。
港から伸びた道に沿って視線を動かすと、小学校が目に入った。
ここから眺めると果てしなく見えた小学校のグラウンドもそれほど広くは思えない。
カメラを取り出し、ファインダーからグラウンドを覗くと、まだ朝も早いというのにサッカーボールを蹴る数人の子供達が見えた。
ファインダーの隅に線路を捉え、それを中心に移動すると、やがて私達の乗った機関車の姿を収める。
機関車は私に挨拶をするように蒸気を勢い良く上げる。
蒸気は上空で雲となり、仲間を探すように漂い始める。
再びファインダーに目を戻すと、黄色い向日葵畑に視界が覆われる。
彼らは、今となっては、一斉に太陽の方に向いており、そのため僅かに黄色い絨毯の上に縞模様を見ることができた。
そして視点をぐっと手繰り寄せると、この山の麓、赤い屋根の家、我が家を認める。
と、背後から朝を告げる雄鶏の立派な鳴き声が響き渡った。
驚いて私と君は振り返る。
そこにはまだ低い朝日を全身に浴び、大きな鶏冠を猛々しく燃やした、凛々しい雄鶏がいた。
雄鶏は私達を眺めたあと(まるでその瞳は輝く太陽!)、背伸びをした彼は再度朝の到来を告げた。
そして雄鶏は卵を産む。
それは大きな白い卵。
家に帰り着いた私達が最初にしたこと。
それは新しい家族の家を造ることだった。
ひよこは(雄鶏なのにひよこだなんて変だけど、これはもう彼の名前に決まり)いつの間に大きくなってしまったけど、
必死に私達のあとをついてくるところなんて、正しくひよこだった(でもポケットには入らないので家路は少し険しかった)。
私も君も大工仕事は苦手だったので、二人して大粒の汗を流しながらの大仕事だったにも関わらず、
仕上がった小屋は傾き、隙間の開いたものになった(それはそれで味があって良いと思う)。
一方ひよこは、まさかこんな小さな小屋に入れられるとは露とも知らず、庭を歩き回っては、時々何に驚いたのか大きな声を挙げている。
君はまだ小屋の出来に不満げな様子で、あちらこちらを金槌で叩いてはいるが、
私にはその行為によって何が改善されたのかちっとも理解できない。
私はそんな君を放って置いて食事を準備することにする。
時々聞こえる金槌の音に合わせて、ひよこが産んだばかりの卵を弄んでいた私は、
炒り卵を作ることに決め卵を割り、ビートルズのYesterdayを口ずさみながら調理を始める。
やがて金槌の音が途絶え、君が戻ってきた気配を感じた。
どうやらひよこも一緒の様子、君のひよこにかける声が聞こえる。
私は軽い食事と、この底冷えのする朝に相応しい暖めた牛乳をお盆に載せて運ぶ。
君はテーブルで待っている、中央には君が何処から摘んできたのかタンポポが一輪、コップに挿してある。
我が家に招き入れられたひよこはテーブルの周りを、床の模様を一心に確かめながら、歩いている。
早速食事に取り掛かろうとする君を制止して、私はカメラを取り出す。
この素晴らしい朝を象徴するテーブルと、ひよこを抱きかかえた君を被写体に、
朝の光を精一杯取り込むために絞りを開き、
このとぼけた世界に敬意を込めてピントを少しだけずらし、
シャッターボタンを押し込む。
この瞬間が永遠になった証としてシャッターの切れる音が響いた。
ところで。
卵を割ったら黄身が2つ入っていた。
だから炒り卵は止めにして、目玉焼きを作った。
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